良くも悪くも感受性が高まり感情を発散せずにはいられなかった

バセドウ病眼症の治療のため、ステロイドパルス療法を受けた際、精神状態がたいへんなことになってしまった。でも、まだこの時点では、おそらく双極性障害ではなかったかもしれない。でも、とにかく薬物惹起性のひどい躁状態。

躁状態と一緒に、ひどい身体症状に見舞われていたのに、私は寝てなどいなかった。フラフラであちこちぶつけて小さな怪我をしていた。車で言ったら、GOな私がローギアでものすごい爆音立てて、ブレーキ踏みながら走っているようなものだった。どんなに辛くても出勤するという選択肢しか私にはなかった。

また、私は自分の身の回りに起きる様々な事象に敏感に反応していた。よくも悪くも感受性が高まり、そこから生み出される感情・言葉を発散せずにはいられなかった。優れた芸術作品は、あの状態の私には危険なものだった。しかしそんな知識は、当時の私にはない。私は文学や歌などに狂わんばかりに反応してしまった。

例えば、たまたま片付けようと手に取った古新聞に載っていた俳句と、その解説。解説があまりにも陳腐で的外れでつまらないものであるかを瞬時に察知した私は、自分の解釈を文字にして書きつけた。

他の例。たまたまテレビで聞いた歌が気になり、英語の歌詞の意味を調べてみると、それは非常に隠喩の効いた、意味深なものだった。そこからいろいろな思いが吹き出し、収めるのが大変だった。私は文字にしてその思いを吐き出さずにはいられなかった。今になってそれを読み返してみると、作家や芸術家というのは、このような状態を恒久的に持っているのかもしれない、などと思ったりする。

私は、人が放つちょっとした言葉に突っ込みを入れずにはいられなかった。そして頭が切れまくり、事象の裏の裏、そのまた裏まで考えてしまう。用心しないと人を傷つけてしまう。いや、だいぶやっちゃってた。小さなことばが気になり、いつもだったら適当に流して終わるようなことにいちいち反応してしまう。

例えば誰かが軽い気持ちで私に何かを言うと、「この場面でそういう発言をするっていうのは、どういう心境とか、どういう意図とかがあって、言うんでしょ、そうでしょう!!」といったような。

一番の被害者は、やはり家族であろう。家族に足を向けて寝られない気が今もしているのは、あの当時、あきれながらも私に耐え抜いてくれたからである。

この状態を、今だったら「躁状態」と言う言葉で理解することができるが、当時の私にはそのような知識はなかった。また、誰も教えてくれなかったんじゃないかと思う。

しかし、絶対に精神が正常ではないという自覚はあったので、自ら精神科を受診している。精神科医は、話の内容とともに、そのように話す私の様子にも大いに注目していたようで、あとで、この症状がいったん落ち着いた時に、「差し迫った感じが減りましたね」と言っている。

このとき精神科医は、私の症状を、躁と鬱が一緒になって表れたようなもの、と説明した。今なら、「躁鬱混合状態」とか思うが、私はそのような言葉に対する知識がなかったため、「躁みたいなうつみたいな状態、でもどっちでもない」と理解した。まあ、これが間違いだったのだろうけど。

心と体が完全に狂っていた。でも、心と体が一緒だったため、心に対する関心も半減してしまっていたかもしれない。いや、心が狂っていたから、思考そのものが狂っていたのだろう。

この受診で処方された薬が私に副作用をきたし、心臓に負担が出てしまったため、病院に電話をかけて問い合わせた。すると、その薬は飲まないで、と指示された。思えばそのあとすぐに受診して、別の薬を処方してもらうべきだったのだろうが、そこまでする必要はなかったように思ったり、電話でそのような指示もなかったし、ということで、次の受診まで私は待ってしまった。

次の受診までの間に、父の1周忌があり、私の精神状態はボロボロになってしまった。明らかに、普通の1周忌に見せる遺族の状態ではなかったのだろう、みな私への対応に不安や戸惑いを覚えていたようだった。

当時、ちょうど冬季オリンピックをしていた。私はオリンピックを見ることはできなかった。プロスポーツとは違って、その時の勝負がすべて。選手が本番の時に発揮するあの集中力、テンパってるあの感じ、アドレナリンが大爆発した興奮状態みたいなもの、それがわかりすぎてしまう。想像力が大爆発し、その想像に自分が耐えられない。辛すぎた。でも、気になる。そんな矛盾の中でどうしようもなくなってしまっていた。そのせいか、一応のコントロールが出来てる今でも、オリンピック他、1回勝負のスポーツは少し苦手だ。

当時の私は、入院によって休職してしまったのだから、職場に少しでも迷惑をかけないように必死だったというところなのだが、実はそのような異常なまでのやる気に満ちていたのは躁状態のせいだった。

今になって考えれば、絶対無理、グロッキーです、となるはず。しかし、上司に強制的に休職せよと言い渡されなければ結局、心配した同僚が精神科医に掛け合い、上司が精神科医を訪れる場を作り、私を休職させるべきだという話をつけてくれたようだ。しかし、私はこのことに激怒した。これだけ一生懸命職場のために努力しているのに、休職せよとはなんだ!しかも、時期は年度末、新年度に私のポストはないも同然ではないか!!といった調子。

それにしても、理路整然と医師から「休むべきだ」と勧められれば、私は従ったと思う。その程度の理性は、残っていたはずだ。身体症状がすさまじかったわけだし。しかし医師がそれをしなかったのは、躁状態にある患者に何を言っても無駄、みたいな、そういうあきらめというか、相手にしても無駄だという姿勢があったことを感じる。躁状態というのは、それほどに恐ろしい状態として認識されているのだろう。