自分の守備範囲を超えたところに怒りや支配欲が湧き始めたら、躁状態を疑おう

ADHDであり双極性障害2型でもある自分が、これらの病気への心構えを作るために読んでいる本が3冊あります。それは『自省録』(マルクス・アウレリウス)と『人生談義(上・下)』(エピクテートス;最近復刊して嬉しい限り)です。浅学のためかんたんな感想とどう活かせるかみたいなことを書きます。

双極性障害の躁状態では特に、浪費が激しい、口論が著しい、イライラが収まらない(八つ当たり)、偉い感覚がして俺様気分になるといったことが表れます。そうしたときに、それらが何を求めているのかをよくよく考えて見てください。浪費するということは、自分がその事物を持っていないのに我慢できずに買ってしまう、口論が著しいのは、相手を論破したいから、イライラが収まらず八つ当たりするのは、実は自分の中のイライラを外の事物あるいは人に投影して解消したいから、偉い感覚の背後には自己顕示欲があるから、だと思うのです。

前述した本のストア派の思想を借りれば、自分がコントロールできるのはどこまでか?よく見極めなさい、そしてコントロールできないもの(権外)のものについては自分は何も影響を受けないようにしなさい、ということが繰り返し書かれています。

先述した躁状態には明らかに外的事物に対するコントロールしたい!所持したい!という気持ちが度を過ぎて存在することが見て取れます。しかし、ストア派に言わせると、これらのものに対する欲求は自らを損なうことになりかねないものです。もちろん、神経活動により営まれる病的欲求という面も多分にあります。しかし、それでもeuthymicのときにこういったことを考えておくと、次に躁状態になりそうなときに事前に対策できるようになるかもしれません。

難しい本格的な学術論は自分にはわかりませんが、こういった事実から以下のような双極性障害あるいはADHD者における戦略が立つと思います。

  1. 自らの範囲(自らの頭の中、くらいと思ってください)を越えていくエネルギーが活発化したときは躁状態の兆候かもしれない
  2. 誰かになんとなくイライラし始めたときは、実は自分が躁状態になりかけで、そのためのイライラを幾分か相手に投影しているものだ、と考えることができる
  3. 口論が激しくなるときは、相手を自分のコントロール下に置きたいという衝動が高まっている状態であり、それはもしかしたら躁的な反応かもしれない

1は悪いことばかりではありません。もともと外交的な人であってもそうでなくても、外界に対し独特の視点や働きかけをすること、そして単純に勤勉であることは大きな利益をもたらします。しかし、自分の権限でどうこうできる対象ではないものに不合理な執着を見せ始めたとき(例えば、読み切れない量の本を買うが、買いきれない分もさらにしつこく求めようとする、人の喝采を浴びたいがために調子のいいことを喋り続け、はたまた高価な贈り物をする、口説く、それらが失敗するとひどく怒るなど)に躁状態、あるいは不健全な状態の兆候と見て取れます。

このような視点は、認知行動療法(狭義)や論理療法でも生かされているものであって、どのような人にでも適応できるものです。躁対策に関しても、こんな感じな考えもどうでしょうか。

一般的な考え方では無いかもしれませんが、自分はこんな感じで考えて対策を練っていければなと考えています。(こちらのナレッジで述べた「規範意識」というのも反駁できます。「規範意識」も、自分を苦しめる感情を引き起こす面では反駁されるべき、とされます。)