気分の波を小さくするための努力は、必要だとわかってはいるけど、どこか悲しい
波があることは悪いことなんだろうか?
誰しも、双極性障害以外の人も、人生に波はあるものだと思います。浮き沈みするし、いい時も悪い時もある。感じ方もそれぞれ。それが人生だとも思うのだけど、双極性障害の場合は「波をなるべく少なくしろ」という指示を主治医から受けます。なぜなら、それが最も「良い」から。
鬱であることがとてもしんどく、自死の可能性も高くなることを思えば、波をなるべく少なくしろ、という指示もわからなくはないです。でも、波が無いなんて無理だ、とも思います。人として無理では?
それでも私は、双極性障害の当事者として、なるべく波を小さくしようと日々努力しています。躁鬱の波が大きいと、特に鬱の時にしんどいから。自分がつらいから。周りに心配・迷惑をかけるから。
そんな自分が、少し悲しい。波があるのが当たり前、と、過ごせる人生はもう来ないのだ。
躁で調子に乗って、鬱に落ち込んだら自分の責任。躁で調子が良くても抑える必要がある。自分のため、周りのため、と言い聞かせる日々。これって「自然」なんだろうか・・・??
それでも私は今日も「ほどほどに」を意識するだろう。この病気との付き合い方でもある。ややこしい病気だなぁ~、きっと理解されにくいだろうなぁ~、でも仲間は居るよね、とネットの海を今日も漂う。この波くらいのたゆたい方ならば、許されるハズ。
昼駆け【ヒルカケ】
性別:女性
年齢:40代後半
診断名:双極性障害Ⅱ型
障害等級:自立支援の申請中
現在の就労状況:正規社員で就労中に鬱で休職→復職後に双極性障害へと診断変更。職場にもオープンにしている。
現在の家庭環境:既婚・子ども3人
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これからも色んなものを背負い生きていけたらいいな、と思います。今日1日、今日1日と、1日を乗り越える事。それが私のやり方です。毎日と思うととてもじゃないけれど生きていけません。