発病からの長い経過~最悪からそこそこへの道程~

発症は2010年。パワハラをきっかけに、強い抑うつ気分が現れた。近医クリニック受診。最初は抑うつ気分、不安障害の診断で、ベンゾジアゼピン系の薬剤や、SSRIのパキシル(パロキセチン)で治療されたが、後述のごとくベンゾジアゼピンには既に耐性があり、パキシルは独特の離脱症状が酷かっただけで効果がなかった(一旦ジェイゾロフト(セルトラリン)に置換してから断薬)。サインバルタ(デュロキセチン)+リフレックス(ミルタザピン)も無効。治療効果は上がらない(これらは皆単極性うつ病の処方であるから当然であるが)。正しい診断に至ったのは、三年後に転院してからのことである。

この頃はまだ「負のエネルギー」とでもいうべき、逆境をバネにステップアップしたり、関東から関西へ転職したりと、色々なことがこなせたが、必ずそのあとは起床困難が現れ、ついに職場から休職せよとのタオルが投げられた。この後、転院、最初の入院となり病名(双極性障害2型)も確定した。

振り返って見るに、上司(関東の職場)との軋轢を生じる前は、睡眠欲求の減退、仕事についての万能感があり、平均すると毎月のように国内や海外の学会で英語の教育講演を行っていた。時には一度の学会で5つもセッションを掛け持ちした。また多数の執筆もこなしている。いわゆる「断ることを知らない」という状態である。上に振り切れていた気分は確かにエキサイティングではあったが、極めて脆弱(本当は弱り、疲れ果てていた)とも言えるところへパワハラが落雷したため、病を発症したと考えている。そもそも、こうしたいかにも目立つ過活動そのものが、周囲から顰蹙(ひんしゅく)を買っていた原因だった可能性もある。

最初の入院以前は、しばしば職場で寝泊まりしていたため、眠剤、特にデパスは恒常的にかなりODの状態であった。ここに端を発し、自分の脳は全てのベンゾジアゼピンに耐性を獲得したとみられ、睡眠障害、不安障害の様相を呈していても、薬剤ではそれ以上の踏み込んだ治療はできなかった。唯一、リボトリール(クロナゼパム)だけは、不安を和らげるのに有効であり、今でも少量服用している(本来適応外のためてんかんの保険病名がついている)。

繰り返すが、ここでの服薬行動が後に睡眠のコントロールを著しく難しくし、ついには日常的な昼夜逆転により休職に追い込まれた。2013年、2015年、2018年に半年ずつ休職、最初の2回は各々ひと月ずつ入院している。

しかし自分の場合、入院すると極めて普通の状態(ニュートラル)となり、気分も良く、なぜ入院しているかわからなくなる。これは、おそらく外面が良い(社交性が高い)ためと、プライベートを観察されているという、適度な緊張感からくるものと思われ、「ホスピタルハイ」とでも呼ぶべきものであろう。

現在、投薬はリーマス(炭酸リチウム)1,000mg分二、は継続しており、有効血中濃度は下限程度である。ラミクタール(ラモトリギン)は皮疹で早々に使えないことがわかった。このため、気分が落ちた時の治療はよく眠ることしかないにも関わらず、睡眠薬(ベンゾジアゼピン《例えばロヒプノール2mg》、ロゼレム、ベルソムラのいずれも)は効かない。禁じ手のイフェクサー(ベンラファキシン)(SNRI)も全く功を奏さず、エビリファイ(アリピプラゾール)にしても何ら効果がない。

こうした経過の末、肥満への忌避から長く拒絶していたセロクエル(クエチアピン)を、眠前200〜300mg、最近開始した。これは良く眠れる。そして不安や抑うつ気分にも効いている。必要に応じて、昼食後に200mg服用することもある。服用し初めは抗ヒスタミン作用が目立ち、食欲増進が激しかったが、ひと月ほどで治った。睡眠効果は、その時点でも有効である。もちろん食事制限はしており、いわゆる低糖質ダイエット中である。

それでも気分の波はあるものの、許容範囲であり、自分にとって最も重要な「とにかく定時の仕事を休まずする」ことさえできれば今は良しとしている。欲張れば、学会活動や研究、語学学習などにも食指は動くが、仕事に行けることが第一であり、夜更かしをしたり、焦りから嫌な気分になったりしないことが何より大切と考えている。