ナチュラルな「元気」と、症状としての「躁状態」は、どう見分ければいいの?
躁鬱病という昔の呼び方で言うと、「躁」の時はテンションが高く、万能感にあふれ、元気モリモリですし、実際、周りからもとても元気に見られます。
でもこれってすごく難しい・・・。躁だから元気なのか、単なる元気なのか?それはきっと誰にもわからないのだけど、「双極性障害の患者だ」という前提があると、どうしても「躁なんじゃない?」「無理しない方がいいんじゃない?」「あとからドッと疲れが来る=鬱になるんじゃない?」という疑念とセットになってしまいます。
もともと元気に見られがちな性質の人が、双極性障害と診断されるケースも多そうだなと思います。それは、無理して元気に見せているケースも含まれるかもしれない。「本当の元気」なんて誰にもわからないのです。
私自身、いつもよくわかりません。今のこの元気な状態はどちらなのか?調子が良いのか、躁なのか?でもそんなこと問い詰めすぎても何も役には立たないのです。鬱は突如やってくるから。
躁状態で頑張りすぎたらいけない。鬱に落ち込みやすくなる。それはきっと正しいし、自己防衛としても役立ちます。でも、どこまでがナチュラルな「元気」なのか、みなさんどうやって判断しているのでしょうか?
そんなことをいつも思いながら、「張り切りすぎないように」「頑張りすぎないように」「ほどほどに」を意識している私です。ちょっとさみしい・・・。100%全開って出来ないってことなのかなぁ・・・。
そんなこともないよ、きっとこのバランスを探ることこそが、私と双極性障害の付き合い方でもある、とも言い聞かせています。
昼駆け【ヒルカケ】
性別:女性
年齢:40代後半
診断名:双極性障害Ⅱ型
障害等級:自立支援の申請中
現在の就労状況:正規社員で就労中に鬱で休職→復職後に双極性障害へと診断変更。職場にもオープンにしている。
現在の家庭環境:既婚・子ども3人
関連ナレッジ
一日ずつ生きる
これからも色んなものを背負い生きていけたらいいな、と思います。今日1日、今日1日と、1日を乗り越える事。それが私のやり方です。毎日と思うととてもじゃないけれど生きていけません。
針が左右を行ったり来たりでなかなかフラットにならないけど
例えば、対人関係でも自分自身の事でも針を目一杯右側へ振り切って、良いイメージや印象しか持てない状況の時があります。Read more
脱げない鎧のせいで優しい言葉も染み渡らない
双極性障害という診断は受けていますが、自分がたまたま立っていた場所が、双極性障害という地名のようなものだったという認識です。Read more