不運な出来事が起きても、不幸な道を歩んではいけない

今年も梅雨の季節がやってきた。止まない雨はないと言うが、私の心の雨はずっと降り続けている。寂しい夜も・・・苦しい朝も・・・孤独な昼も・・・必ず死ぬと理解しながら生きていかなければいけないのが人間だ。「人間は思考で繁栄するかわりに思考で苦しむようにできている。」とも言われている。それが苦しすぎるから、人間には夢が絶対必要だと。夢? 夢より現実だろうと反論するかもしれない。でも、解決できない悩みや苦しみで塗りつぶすことだけが人生だろうか。一度しかない人生を悩み続けるのも人間だけだ。死んだ後に天国があるのか地獄があるのかもわからない。人生とは何かもまだ解らない。だが、少しずつ解ってきたことがある。上昇の喜びも下降の悲しみも、咲くときも枯れ落ちるときも、すべては愛しい人生ということを。不運な時に幸福を教えてくれる。不運は心を満たしてくれる。その苦痛が心を広くするための学びでもある。昔と言っても大昔、カウンセリングの研修会で、幼い女児を亡くした母親が、「愛娘は、もう帰ってこない。もう会えない。時が解決してくれる。そんなことは解っている。だけど、悲しい。辛い。あの日、あの時がずっと忘れない。早く娘に会いたい。」と訴えていた。カウンセラーは彼女にこう諭した。「娘さんを亡くしたのは不運な出来事だったけど、それで、あなたが不幸な道を歩んではいけない。」その後、母親は、はっと気づきを得たと言う。人は不運に負けたときに不幸になると。幸運だけど幸福じゃない人もいる。不運だけど幸福な人もいる。私の幸福論は、何もなくても笑えるような人間に近づいていくこと。「成功も失敗も健康も病も、幸運も不運も、そして幸福も不幸も、いろんな事があったけど、面白い人生だった。」と息を引き取る前に呟きたい。