今も問題は山積みだけど、こんなもんかと思いながら記録をとり続ける。できることを一つずつ積み重ねていく。

認知行動療法をやってみて思ったこと。

自分がこんな風に変わるなんて想像もできなかった。
暗中模索の日々、という点だけは今も変わらない。
こういう地道な毎日が続いていくんだろうな、と思っている。

最初はただ「なんとかしないと」と思っただけで、認知行動療法なんて考えてもいなかった。
ひどいうつ状態で、日常生活のすべてがとにかくキツかった。
食事も、着替えも、トイレも、お風呂も、話をするにも気力と体力がなくて、休み休み、なんとか生きていた。

何もできない状態で回復のためにできる事をぼんやりした頭で考えて、とりあえず朝日を浴びてみようと思った。
目を開けているのも辛かったので、窓のそばで目を閉じて、ただただ横たわっていた。
これが何のためになるんだろうと思いながら。
このまま消えてしまいたい。
ひどく虚ろな気分だった。

手のひらや身体に光が当たる。
あたたかくて、光を触っているような感覚を、今もよく覚えている。

回復の手応えなんて全然感じないし、体調も気分も最悪のままだし、将来を考えたら絶望しかなかったけど、とにかく毎日窓辺で寝ころんだ。

そうやって過ごしていたある日、担当医からカウンセラーさんを紹介されて認知行動療法に取り組むことになった。
状態は最悪のまま、ただ流れに任せただけ。

でもそれから少しずつ歯車が噛み合って、ゆっくりと回っていくような感じで生活が変わっていった。
決して順調だったわけじゃない、何度も何度も大きな波に翻弄された。

そのたびに記録を読み返して、具体的な対策を考えて、カウンセラーさんと検討して、実践して、改善しつづけた。
そしてそれは今も続いている。

認知行動療法に少し慣れてきた今、この治療は本当に単純で、だからこそ難しいと感じている。
やることは地道なデータ収集と、それを元に自分にできることを考えて実行すること。
結果なんてすぐには出ない。
間違えたら即修正、その間違いに気づくのにも数週間かかったりして、とにかく根気が要る。
あきらめないという事はこんなにも難しいのかと、何度も思い知らされる。

たぶん普通のひとは自分の感覚だけで、特に意識しなくても調整できるんだろう。
でもわたしはそれができない。
だから工夫するしかない、当たり前のことだ。

今はまだセルフコントロールできているとは言えない。
ただ、以前は自分の疲れがただの甘えなのか、本当に休まないといけないのかすら判断できなかったけど、今は疲れたら自分で休むことくらいはできるようになった。

ひどく落ち込んでも、食べて、寝て、休んで、動いて、遊んでいたらそのうち回復する。
これまでの記録が確かな根拠だ。
わたしは思っていた以上に単純だった。
自分で勝手に物事を複雑にしていただけ。

今も問題は山積み、改善点は数えきれないし、先のことを考えると不安だらけ。
でもまあこんなもんかと思いながら、いつも通り記録をとり続ける。
ひとつひとつ、できることを積み重ねていく。

「いつも通りの毎日」を続けるために。