私のことを裏切るのは、いちばん差別しているのは、いつだって私自身だ

躁うつ病との共存が難しいのは、何度も何度も自分に裏切られ続けるからだと思う。毎日自分が大丈夫か確認して、体調を記録して、休日を調整して、トリガーを避けて、いろいろ工夫して積み重ねた努力をあっさり裏切るのは、いつだって自分自身だ。

ものすごく傷ついても、加害者が自分だから、逃げることもできない。もう疲れた。いつまで頑張ればいいのだろう。

周りの人は言う。
「みんな頑張って生きてるんだからー」
「一生勉強だよー」
「もっと大変な人もいるんだからー」

確かにそうだけど、きつい。あまりにも残酷な励ましだ。いつもは他人と比べるなと言うくせに、病気や不幸は簡単に他人と比較する矛盾。どんなに言葉を尽くしても理解されず、話せば話すほど相手との壁を感じてしまう。「普通」との距離が、断崖絶壁のように思える絶望感。

わたしと入れ替わっても、同じことが言える? そんな暗く虚しい空想をしてしまう自分が、嫌いだ。

ただ、「普通の人たち」も一様に同じ感覚というわけではないことは分かってるつもり。たぶん「普通」だったら相手との違いを察しつつ、ちょうどいい距離感でつき合っていくことができるんだろう。その「違い」に差がありすぎて、多少の調整ではなかなか良好な関係を築けないのが「わたし」だと思っている。

そんな自分をいちばん差別しているのは、自分自身だ。