花が咲いて、散って、次の季節にまた咲くように
自分は花を育てられない人間だと思っていた。
花は大好きだし、見かけるとつい見惚れてしまう。
でもそれを自分の所有物にするかと言われると、ためらう。
「せっかく咲いているのに、わたしのせいで枯れてしまったら可哀想」
道端に咲いている花を摘むことにさえ抵抗感があった。
わたしの気まぐれで命を終わらせていいのかと、いちいち考えることが重い。
奇妙な責任感。
うつから少し回復して動けるようになった時、人に勧められて初めて自分のために花を買った。
枯らすかもしれないという不安で、ものすごく悩んだ。
失敗することへの恐怖、といってもいいかもしれない。
それでも1鉢選んで、大切に持って帰った。
毎日毎日かわいがって、そして不安通り2週間で枯らしてしまった。
やっぱりわたしはダメなんだ…。ずーんと落ち込んだ。
そこから思い直してまた花を買いに行くと、わたしが枯らした花がお店でも枯れていた。
「なんだ、わたしのせいじゃなかったのか」
気候が合わなかったのかもしれない、病気が入っていたのかも?
途端に自分以外の原因がいくつも思い浮かんだ。
自分の視野の狭さを実感して、目が覚めるような思いだった。
理解しているつもりだったけど、全然わかっていなかった。
認知行動療法の『別の視点から見る』ってこういうことかと、妙に納得してしまった。
「工夫しだいで、なんとかなるかもしれない」
その後ガーデニングを一から学んで、今では玄関に色とりどりの花が咲いている。
場所が足りないくらいだ。
ずっと立ち止まっていたわたしに、新しい趣味ができた。
花をイメージ通りに咲かせて、増えすぎたら生けて飾って、時期が来たら次の季節に繋げる、この流れがずっと続いていく。
わたしの気分も同じように、上がったり下がったりを繰り返す。
もう終わりだと思うくらい落ち込んでも、またゆっくり浮上して毎日が続いていく。
ガーデニングをきっかけに興味の対象も広がり、生活が変わり、また新しい趣味ができた。
病気が治ったわけじゃないけど、こんな生活も悪くないと思っている。
うみ
性別:女性
年齢:40代
診断名:双極性障害1型
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