お店でお釣りを少なく渡されても何も言えないような引っ込み思案の私が、躁状態で別人のように

最初に軽躁になったのは大学に入った4月でした。受験勉強の負荷と、第一志望校に合格したことの喜びが引き金になったのだと思います。思えば高校3年生の時は、受験のプレッシャーから何も手につかなくなり、過眠・過食したり、精神的に不安定になったりということがあり、塾や高校にろくに通えなくなってしまっていました。もしかするとその時すでに、うつエピソードを発症していたのかもしれません。

私はもともと、初対面の人や、あまり親しくない人と会話することが非常に苦手でした。何を話せば良いかわからず、黙りこくるか上滑りするかで、解散した後に自己嫌悪に陥ってしまいます。また、外出するとすぐ気疲れしてしまい、遊びの予定は土日のどちらかに1件入れるのがやっとです。

しかし、軽躁だったこの時は、どんな人とでも親しく会話することができるようになりました。サークルの新歓コンパという、初対面の人たちが大勢集まり大声でしゃべるような、本来であれば最も苦手とする場にも、上機嫌で積極的に参加していました。

毎日、授業にアルバイトにコンパにと複雑に予定を入れ、深夜近くに帰宅。夜は4~5時間眠れば自然に目覚め、寝不足感は一切ないどころか、起きた瞬間から頭がフル回転……。「効率の悪いロングスリーパーからやっとショートスリーパーに生まれ変われたんだ、なんて充実した毎日なんだ」と、毎日嬉しい気分でいっぱいになっていた記憶があります。

そうした生活が1ヶ月も続くうち、多幸感が次第にイライラに変わっていくようになりました。このイライラは、おそらく万能感に起因するものだったのではないかと思います。自分の意に沿わないことがあると、「なぜこの万能な私を不当に貶めるようなことをするのか」と、心の奥底から怒りが湧いてくるのです。

そのイライラは、アルバイト先の上司に向かいました。当初想定していたような待遇が得られなかったこと、不本意な研修に参加させられたことなどから激昂してしまい、電話で即座に上司にアポを取り、シフトの入っていない時間帯に乗り込んで、強い口調で抗議したのです。

普段の私は、例えばお店の人からお釣りを少なく渡されたとしても、何も言わないでおくような人間です。電話をかけるのも苦手で、たった一本電話するのに数日かかってしまいます。この時の行動は、通常の私からは考えられないことで、明らかに異常でした。しかし、当時は本気で「私の中に眠っていた本当の力が目覚めただけ」と思い込み、強く抗議できたことに爽快感すら覚えていました。

5月半ばに入ると、さすがに無理がたたったのか、風邪をぐずぐずとこじらせてしまいました。それに伴い、気分の高揚は徐々に収束していきました。

双極性障害に関しては、「躁でエネルギーを使い果たしてしまい鬱に落ちる」といった説明をよく目にすることがあります。しかし私の場合、躁の後は疲れはするものの、その後鬱に落ちていくことはあまりありません。この時も、憑き物が落ちたように、普段の引っ込み思案で無気力な自分に戻っていっただけでした。

こうして私の最初の軽躁エピソードは幕を閉じたのですが、そこから精神科を受診し診断がつくまでには長い年月を要することになりました。