人生の半分を病気と共に過ごしてきたから、どれが本当の自分かなんてわからないけど

みなさんのナレッジを見ていて、「もしや私、この時躁状態だったんじゃないか?」っていうのがたくさん出てきました。今まで薬で躁うつ症と認識していたので、とても驚きです。あとたぶん、学生の症状の出方って、社会人とは違うのかなと思います。超個人的で参考になるかわかりませんが、書かせていただきます。

鬱っぽいのが始まったのは、小学生か中学生のいじめとかの時。HSPがあって過敏すぎて馴染めなくて、(当時はそんなこと思わなかったけど)自傷や、希死念慮がありました。そして高校は地元を出て英語コースの高校へ行き、エッセイ、プレゼン、国際交流、その他普通の勉強と、部活を2つに委員会1つ。休み時間は読書に費やし、放課後から寝るまで勉強漬け。私はマルチタスクはできないのに…。この時は居場所を安定させるためにいい成績をとるのに必死でした。でも好きだった。辛かったけど。

夜中の2時までパソコンでパワポ作って…。自分は劣っているという感覚と完璧主義な特性で毎日緊張していました。他の人から見たら普通かわかんないけど、私にとっては明らかな過集中とオーバーワークでした。睡眠不足だし。怖かった。楽しかったけど。

そんなギリギリの時に、妹が高校中退して、私は心のバランスを崩し、妹を激しく攻撃しました。父親も嫌いでした。世界の全てが敵だった。友達もいたし先生から期待もされていました。受け入れられてはいたけど、いつその評価がなくなるか怖かった。生理も辛かったけど、休めないし。登校して教室で泣きだしたこともあります。ちょっとしたことで耐えきれなくなる。足を軽く自傷していました。

大学入る前は軽く無気力でした。大学で心を立て直すつもりでいました。入学してすぐ友人が数人できました。私から元気に話しかけて、留学生も含めて、直ぐ仲良くなって、みんな一人暮らしなのもあって、遊んで、泊まって、勉強して。自分をもっと高めよう、私はもっとできる!と思ったり。授業はちょっと不満もあり、少人数の必修クラスで生徒たちvs先生をやって勝ったこともあります。(やり方がこすかったので反論して。元ディベート部を生かして笑)

サークルは最初一個、人数が少なくて直ぐ回す役割になり、次に副代表とその他仕事を合わせてやらざるを得なくなり、先輩と意思疎通ができず、5人から30人に増えたメンバーに色々教え、鬱状態で一時期学校に通えなくなりました。この辺で大学のカウンセリングを受け始めます。友達が毎日ご飯作りにきてくれて、話も聞いてくれて、復活。学祭の後に辞めて、別のサークルに入りました。そして自分でもサークルを作りました。リーダーシップを生かして両方代表をしました。1つは合同イベントがあって、3人で80人の動きを決めたり、会議をしたり、資料を作ったり、みんなギリギリで回してました。

代表になったサークルでは、メンバーの意志が揃わず、それを先輩に責められ、嫌になって退部宣言。先輩が代表になれば問題解決するよね?って思ったので。責めてきたのは自分が色々やりたいのを私に指示して、断ってもうるさかったので自分でやれって思いました。もちろんそんなことは言いませんが、「ただもう忙しいからやめます。私にはみなさんの意志を無理矢理変えるできません。もう無理です。」と言いました。先輩の同世代複数人に呼び出され、ひたすら怒鳴られたりなんだり。会話にもならなくて。先生は見てるだけ。友人はびっくりして泣いて寄り添ってくれました。私はそういうのは小中にあったのでまたかって最初は思って、意外と平気だと思っていました。でもまた授業に行けなくなり、生理痛が酷くて廊下で動けなくたったり。

冬に帰省して、父親の暴言で完全に折れました。生きてる意味を感じなくなって、最初は大学やめて自分で生きていこうと思ったけど、別に無理して生きる必要ないな、と思い、それが死にたいに変わりました。頭が回らなくて、卒論がかけなくて、プレッシャーになって、病院へ行き、休学したいといえば、甘えだ、死にたいだけじゃ病気じゃないと責められ、頑張ろうと思って1月行けたかな、でも限界で婦人科と別の精神科で鬱症状と診断され、大きな病院で発達障害の検査もした方が良いと言われました。自殺の危険があるので直ぐ実家に帰った方がいいとなり、父親が気になりましたが、まあ考えるのも面倒で帰りました。

実家帰って、おばあちゃんとテレビ見てご飯食べて薬飲んで。ラジオ体操もして最初は頑張っていたけど、土日の父親は朝から飲んで暴言も酷くなるので、それが許せなくて、そして薬の影響(ピルと抗うつ剤など)の影響で、何度か自殺未遂やほのめかしなど。包丁持ち出そうとしたり、裸足で静かに家を出てそのまま海へ。数時間して帰宅。妹の部屋に妹と母に閉じ込められた。父親に存在価値ないようなこととか言われて、よしじゃあ死のう!となっていました。おばあちゃんの親戚が遊びに来たので母親を手伝いながら、妹は健康なニートで好きなことをしていて何もせず、父親はずっと酒を飲み、私うつなんだけど、なんでこんな気を使ってるんだってなりました。父親は酔って転び頭から出血、病院に行きました。お客さんの目の前で。恥ずかしかった。外出が辛くて病院も行けなくなった。

海から帰ってきた翌日、母と高校の時一緒に住んでいた母方のおばあちゃんの家にうつりました。そこでも普通実家でもないのに療養させる優しい人はいないから感謝しなさいとか、父親の悪口とか、気の持ちようとか、今までの人生の否定、性格の否定などなど。でも父親よりは耐えれました。この時薬はやめて、少し調子が良くなっていました。数時間なら外出もできるようになって、婦人科で環境のせいもあるけど薬があっていなかったのかもと言われて新しいピルを飲み始めて順調でした。新しい精神科は先生と合わなくて、薬も飲まずに辞めました。

ピルと漢方でだいぶ助かっていました。大学にも戻れそうで復学届けを出し、受理されます。その翌月、生理の時に薬をODします。夜になんかおばあちゃんに言われたのだったかな、それでかっとなって、行き先も言わず家を出ました。死ぬ気だったけど、高い建物がなくて、薬をいっぱい買ってきました。家族に遺書を書いてメールで送り、いっぱい飲みます。でもぜんぜん。なんともないまま朝がきて、自分にびっくりして、なんでこんなことをしたの?もう大学戻るのに!母親に謝って、入院したい、変だ、このままじゃ死んじゃうと伝えました。婦人科さんに紹介してもらって提携してるメンクリさんに、すぐ入院できるところを探してもらって、2ヶ月少し入院しました。

その時に抗うつ剤が合わなかったと話せば、双極性の方かもと言われてその薬を飲みます。発達の検査もしましたが、自覚したことがあまりなかったのでグレーゾーン止まり。検査の日本語がよく理解できなくて、矛盾回答も出しちゃって、検査不可もあるので、躁鬱が落ち着いたらもう一度受けることを勧められています。入院中は生理も来ずとても落ち着いていました。症状も色々検査して診断は躁鬱症状。病院では小波くらいです。でも結構明るく過ごせました。ちょっと興奮することもあって怒っちゃったりとか。あとはラジオ体操で笑いがとまらなくなったり。落ち込むこともあったけど、薬ですぐ楽になりました。退院しておばあちゃんと少しあって、またODをして、もう薬はダメだと思ったので今は飲まないで一人暮らしです。

今は自分で暴露療法的なのをして、トラウマを癒し、ものすごく死にたくなるのは収まっています。次の生理がこわいけど。低気圧の時はゴロゴロし、気分がよければ向かいの公園を一周して、家でも運動します。あとは友人と交流して、いつも味方で為になる気づきを得るので。あとは食事はなるべく取るようにしています。鬱症状の時に食べられなくなって、一食とかで、ODや生理中は吐くので体重は減っていました。入院して毎日三食、2,000kcal、豆腐類など多く食べて、体重は過去最高だけど健康の方がずっと大事です。だから出来るだけ肉、野菜、ご飯を簡単にでも用意します。鬱っぽい時はコンビニで。バランスを重視です。少々過食でも気にしません。運動もダイエットのためではなく、心のためです。 気分の波は、引っ越してすぐは鬱になっていたけど、軽めです。2週間くらいだった。今は逆に軽躁状態な気がします。ちょっと用があって長時間外歩き疲れすぎて眠れなくなってしまいました。

書いてて、結構忘れていたことも思い出しました。薬やめたのも治った気がしたからとかじゃなくて、ODしたくなるからっていうのが闇が深いですね(笑)。でもなんとか、今この瞬間は生きてます。

これでも症状は軽い方のようで?(あまり先生に伝えられなかったのかも)、躁鬱も発達障害も診断はされていませんが、とても外で働ける状態ではないです。躁鬱ってそもそも気分の予測はできないから、シフトあるのはきついし、軽作業や事務作業などが良いそうですが、発達の傾向からそれら+サービス業、特に飲食は厳禁と言われています。英語も会話(意思疎通や案内)、読書や旅行ができるくらいでビジネスに使えるほどではないし、特にそのほかの資格もないし、人間関係も面倒で正直社会には戻りたくないです。働いて躁鬱で自殺より、私は飢えて死ぬ!(一応家族が金銭援助してくれているので、しばらくは大丈夫です)

恵まれて、愛されて、それでも耐えられなくて、自分が嫌になる時もいっぱいあります。みんなに心配されて迷惑かけて、罪悪感で自傷したくなる時も。でもこの病気も発達も一生ものだし、人生の半分この状態で過ごしてきて、もう普通の自分とかわかりません。周りのいう元気になったねは躁状態だし。病気も発達もあるこの状態、感情が揺れまくっていろんなことが出来そうでできなくて、でも頑張ってまた落ちるっていう自分が、もうほんとの自分なんだなーって、せめて自分では否定しないでいたい。この状態が、自然な私です。