あの頃に戻りたいと思ってしまう

大学院修士課程在学中に、不眠や注意力の欠如などの鬱病の症状が出て日常生活がままならなくなり、精神科を受診しました。今になって考えると、発症の3年ほど前から、休みなしに動き続け頭が働き続けアルコールなしで眠れず、軽躁状態だったと思います。鬱発症の1年ほど前から酷い疲労感、無力感を感じていました。

診断は鬱病で、すぐに休学と地方の実家での休養が決まりました。実家ではしばらく内科の睡眠導入剤と精神安定剤でしのぎましたが、根本の解決にならないと思い、あらためて総合病院の精神科を受診し鬱病と軽度のアルコール依存の診断をもらいました。禁酒と抗鬱剤を処方され、しばらくは副作用の吐き気に苦しみましたが、1~2ヶ月で鬱症状が改善し、爽快な気分になりました。しかし同時期に担当医が交代になりました。

この頃から、抗鬱剤の影響で躁状態が始まりました。元気なので、アルバイトをはじめたり、両親と喧嘩をしてみたり、大変な騒ぎになり学生時代苦労して貯めた貯金も半分以上使いました。でも、これまでの人生でできなかった親への反抗を、リミッターをはずしたような状態で思う存分にやりました。きっと、発病へと至った私の感情の半分くらいは親への言いたくてもいえない思いでした。

しかし、ある時から抗鬱剤の効き目がつらい息切れと耐えがたい苛々と焦燥感になり、さらに全身の震えと涙になって、アルバイトもできなくなりました。尋常ではない症状で、内科で血液検査などしてもらいましたが異常がないので、結局、新たに精神科にかかりました。

そこで、1人目に診ていただいた医師とは、私が非常に苛立っていたこと、医師が統合失調病の専門医であったこともあり、気分障害の私と相性があわず、口論のような状態になりました。当時は(躁状態であった)自分が狂人であるかのように感じられ、たいへん辛い思いをしました。

次に紹介していただいた医師は、優しくはありませんでしたが、気分にむらのない方で冷静に話を聞いてくださり、他の抗鬱剤を試した上で、抗鬱剤のあとの症状や病前性格から躁鬱だろう、と診断がありました。焦燥感が酷かったので、臨床心理士の先生もつけていただきました。

ここでの医師と心理士の先生が、私にとってとてもよい出会いだったと思います。医師には、リーマス(炭酸リチウム)の処方とアルコールの管理をしてもらいました。あれこれ深くきいたり命令されたりしないのが気楽だったので途切れず通いました。他方で心理士の方には、同年代の同性であったこともあり、誰にも言えなかったこと全てとにかく話しました。今までいかに無理をしていたのか、ということを教えてもらいました。この医師と心理士の先生に会うまで、自分が弱いから病気になるのだとどこかで思って、早く戻らなくては申し訳ない、と思っていたけれど、「できる範囲で生きるしかない」と冷たい医師と、「今まで頑張りすぎで、誰よりも頑張ったんですよ」と言う心理士の間で、自分が組み直された気がします。

軽躁状態の改善まで半年かかりました。それからまた鬱状態になりました。それでも抗鬱剤は飲めないので、苦しみました。躁転してしまう身体での鬱はとてもつらいです。躁を知っているからこそ、つらいです。私は次の1年も論文を書けませんでした。鬱状態だったからです。躁の時に粘っていた分のお情けでなんとか学位はもらえらけれど、進学は許されなかったし、それ以上でも以下でもないものです。満足に勉強もできず、苛立ったり泣いていたりした時間は無なわけです。

躁鬱のつらいのは、いつ来るかわからない、元気な時を待つことです。抗鬱剤を飲んで、前に進む気になることはできない(私の場合、副作用が酷かったので)。私は今、なんとかフリーランスで仕事をしています。でも学業とアルバイトを同時に頑張っていた頃に戻りたいと思ってしまう。しかもちょっと無理をしてハイになれば戻れる気がする。そこが、躁鬱の難しいところだと思います。