とにかく安定就労を目指そうとする支援のあり方に違和感

双極性障害などの気分障害を持つ人は、職場や支援施設などでとにかく「安定就労できるようになること」を求められますが、この現状に違和感を覚えています。それは、気分障害を持つ人というのは、言い換えれば「安定就労を実現する能力を奪われた人」とも言えると思うからです。

目が全く見えない人に視覚を必要とする仕事はさせないと思いますし、耳が全く聞こえない人に聴力を必要とする仕事はさせないと思います。

これと同じで、気分障害を持つ人に「頑張って安定就労できるようになりましょう」と言うのは、目が全く見えない人に向かって「頑張って目が見えるようになりましょう」と言っているのにほぼ等しいと思うのです。

もちろん、安定就労をあきらめろとか目指すなということではありません。周囲のために、何よりも自分自身のために、引き続きその方向に向かって努力はしていくべきだとは思いますが、その努力が報われる保証がない以上、安定就労を前提とした働き方にこだわるのを、社会に、世間に、やめて欲しいと思うのです。

それを社会全体で実現しようとすることや、各々の職場で実現するのは容易ではないとは思いますが、気分障害を持つ全ての人に対して安定就労を目指させるよりは実現可能なことのように思えるのです。個人や数人のチームでは難しいでしょうし、業務内容の性質上、物理的に不可能だという職種もあるとは思いますが、「気分障害とは安定就労能力が奪われる病気だ」という認識が社会に広まり、それを前提とした支援の仕方や当事者の努力が行われるべきだと思うのです。

安定就労を実現できた人は称えられるべきだと思いますし、以前の自分を取り戻すことができると思いますが、それに失敗した大多数の人々は、再び体調を崩すたびに自分を責め、自信をなくし、周囲に申し訳ないと感じることを繰り返します。「気分障害とは安定就労能力が奪われる病気だ」という前提があった方が、本人や周囲の人たちの辛さや負担は軽くなると思います。