他人からどう見られているかを気にするくせに、相手に配慮した話し方が全くできていなかった

ある日、姪っ子から手品の動画が送られてきた。
一枚のトランプが消えたり、変なところから出てきたり、タネがもう少しで見えそう…でも見えない。
少したどたどしくて危うい不思議な動画がおもしろくて、お返しにわたしも手品動画を送ることにした。

少し前にテレビで初心者向けの手品が紹介されていたのを見て、1つだけ覚えていたのだ。
まさか披露する日が来るとは・・・少し練習して、さあ撮影開始。
スマホをセットしながら、そういえばこれで動画を撮るのは初めてだな、と思った。

ポン♪弾むような電子音。
誰も見ていないのに、緊張する。
ワタワタした手つき、すぐに失敗だとわかった。
なんとか最後まで撮り終えて、再生してみる。

・・・恥ずかしすぎて埋もれたいような動画が、そこにあった。
まず声のトーンが低すぎて全体的に暗い、まるで独り言だ。
手品以前の問題。

自分がこれまで「人」を意識して話していなかったことに、その時になってようやく気づいた。
他人からどう見られているかは気にするくせに、意識は常に自分のほうを向いていて「聞き取りやすさ」とか「どうすれば伝わるか」という相手への配慮が全くない。
これでよく今まで生きてこられたな、と思う。
ついでに過去のやらかし体験が次々と浮かんできて頭を抱える。

はぁーーーーー・・・

長いため息の後しばらくして落ち着きを取り戻し、反省を踏まえてリテイクを繰り返した。
無理に明るくすると躁状態みたいになるのが嫌で、テンション低めなのはそのまま。
ただしはっきり聞き取りやすい言葉で、伝えたいところは十分に時間をとって。
そのとき初めて「間」を意識した。

ただ話すだけでここまで頭を使わないといけないのか、ものすごく疲れる。
普通の人がこれをある程度然に身につけているとして、その差は数十年、考えただけで身体が重い。
凹みながらも30テイクぐらいでようやく初の手品動画が完成。
姪っ子に送るといくつものスタンプが返ってきた、どうやら気に入ってもらえたようだ。

軽い気持ちで始めた手品でこんなことになるとは思わなかった。
でもそれ以降、わたしは話す相手を観察するようになった。
(花や動物、物の変化には気がつくのに、これまでわたしにとって人間は観察対象ではなかったことに気がついた)
話し方を変えると伝わり方がどう変化するのか、自分に合った話し方はどういうものか、余裕がある時はいろいろと試している。

「人生のあらゆる場面において、我々は常に初心者である」
誰の言葉だっただろうか?最近よく思い返しては、そうだなぁと一人納得している。