鬱の時は食事や入浴などのタスクを細分化して、些細なことでも出来たら「よし」と確認する
鬱のときは「いつも」どおりという概念を捨てたいです。毎回「いつもと同じように出来ない」とか「いつもの自分とはちがう」といった居心地の悪さがあるのですが、自分のなかの波も、鬱のあり方も、その都度同じようで実は微妙に違ったりもするし、そもそも上がったり下がったりを繰り返すのが躁鬱の特質なのだから「いつもの自分」の実体なんて分かりようがないのにと思います。
寝たきりのときはつい「いつも」と比べて出来ないことばかりに目が行きがちですが、その期間にも小刻みな波があって、出来なかったことが少しだけ出来るようになったりもします。
カウンセラーの先生から物事の「細分化」を提案されたこともあり、例えば以下のようなときを意識するようになりました。
衛生面において
- 洗顔の代わりにメイク落としシートや、水に濡らしたコットン、ティッシュなどで顔を拭けたとき(スッピンで用途と違っても、肌に刺激が少なければ何でもいいかと)
- 歯磨きが辛くても、代わりに水かうがい薬で口をゆすげたとき
- その勢いでなんとか歯磨き、洗顔が出来たとき
- 入浴が難しくても首元や足など、見えるところだけでも拭けたとき(タオルを濡らすのも億劫になるので、汗ふきシートかウェットティッシュを使用)
- 着替えが難しくても肌着や靴下など一部替えられたとき
- いよいよ伸びてきた爪が切れたとき(これは結構ハードルが高い)
食生活において
- 食事が辛くても、バランス栄養系のスナックや吸引タイプのパックゼリーなど、簡単に口に含めるものを摂取したとき(ただし蒟蒻ゼリーは喉に詰めかけたことがあるので、高齢でなくても弱っているときは避ける)
- 野菜が取れなくても、プチトマトのパックを冷蔵庫から出して、パックの蓋を開き、ひと粒でも洗って食べられたとき
- 使ったコップをひとつでも洗えたとき
- 買い物に行けなくても保存食などネットで注文出来たとき(食料が尽きるギリギリのタイミングでOK)
外出において
- 外に出るのが恐くてもベランダで深呼吸が出来たとき
- 起き上がれなくても布団のなかで深呼吸が出来たとき(ちなみに金縛りのときは指先から動かしてみると解れやすいそうです)
- ジャージでパジャマを隠してフードを被り、えいやとゴミ袋を縛って、ゴミ出しが出来たとき(ハードルが高い分、達成感・スッキリ感も高いし、一瞬でも扉の外に出て日常の景色を思い出せる)
こういうこともなーんにも出来ない期間はなるべく自分を責めず「これは鬱の症状だ」と認識し、小さなことでも出来たときは「出来た」と自分に言い聞かせるようにしています(忘れがちですが)。「よし」とか「出来た」と実際に声に出してみたり、携帯か何かに書き出したらより効果がある気がします。自分を褒めるのは難しいので「よし」と唱えるのも、褒めるというより確認作業的な感じです。こういう作業を重ねると「いつも」の状態と比べて「こんなことぐらい…」と嘆く癖から少しずつ逃れられるかもしれません。
逆に、以上からひとつでも何も考えずに出来た瞬間は、先に身体が動いていていて、「あ、出来てる。(鬱から)抜けてきたな」と数秒後に気づき、変化を感じます。その感覚が身体に馴染むと回復具合を測るバロメーターにもなります。ただ、近年はすっと抜けられない場合も多々あるので、一喜一憂せずに、良いことも悪いことも永遠には続かない、と心に留めておきたいです。
匿名希望570
性別:女性
年齢:30代後半
診断名:双極性障害2型
障害等級:障害者手帳3級→2級
現在の就労状況:自由業
現在の家庭環境:ひとり暮らし
併発している他の傷病:PTSD、月経困難症
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