「死にたい」のではなく「死にたくならずに生きていく」すべを知らない辛さ

私がはじめて深刻な鬱になったのは12歳のときでした。それから精神科や心療内科を転々としましたが、長年「鬱の症状は重くてもあまり長引かない」、「衝動買いをしたことがない」という理由で、鬱病や双極性障害の診断を受けたことはありませんでした(私が受診したお医者さんのうち4〜5人がこの2点を診断基準にされていたと思います)。10代のときから頓服として抗不安薬は処方されていましたが、元気になるとすぐ鬱のときのことは忘れてしまうので、20年以上もの間、鬱の自分は嘘の自分と思い込み、その場凌ぎでやってきた感じです。

「双極2型障害」と診断を受けたのはつい数年前、30代半ばのことでした。そこからようやく生活習慣や薬を見直したり、福祉の支援を受けるようになりました。はじめに診断を受けたときは、これからも一生地獄のような鬱と付き合っていかなければいけないと思うとゾッとしましたが、同時に、それまでの人生で突然飛躍的に何かが上達したり、訳のわからない高揚感におそわれて眠れない日が続いたり、周囲に好戦的な態度を取ってしまったりと、自分でも理解に苦しんできた現象は軽躁状態だったんだと合点がいき、少し安心もしました。

25歳のときからはPTSDも患っているので、それ以降は鬱が複雑化したり、ラピッドになったり(30歳前後からはほぼ月イチのサイクルで鬱)、とにかく疲れますが、それでも少しずつ鬱の間にできることは増えてきています。これを書いている今も実は鬱状態で、1週間以上外に出られていません。食事もやっとで、野菜ジュースを開けるのすら億劫で腐らせかけました。少し前まではこんな状態でパソコンを開き文字を打つことなんて、想像すら出来ませんでした。でも今回は無力感よりイライラや焦燥感が強く、何かしていなければ苦しくて、混乱します。なので敢えてこの状態で私の体験談を書かせていただこうと思いました。

また、ずっと前から、12歳のときの初めて鬱になった体験について文章を書いてみたいと思っていたのですが、今年5月にnoteで毎日読んでいた坂口恭平さんの『躁鬱大学』に触発されたこともあり、少しずつ書き始めました。書いてみるといろんな気づきがあります。特に大きな気づきだった部分をここに共有させていただきます。

「そして十九歳のとき、私はまた死にたくなった。いつもより具体的に死にたくなった。 私はそんなふうに繰り返し死にたくなる自分が大嫌いだった。死ねるわけがないことはわかっていたし、本当は死にたくなんかなかった。ただ、どうやったら死にたくならずに生きていけるかを知らなかったのだ。」

支離滅裂な上、長文になってしまいすみません。もしかしたら今のような状態は躁鬱混合状態とみなされるのかもしれませんが、あまりそんなことを考えていても楽にはならないので、とりあえずもう少しエネルギーが溜まるまで意識的に深呼吸したいと思います。下手くそですが、生きていきたいです。