当事者同士だからこそ察知できることがある

私は知人とトラブルを起こしてしまいました。そのトラブルに私は嫌な感情がぐるぐる渦巻いてしまったのです。

そんな時、入院中に仲良くなり今でも関係を続けている友人から連絡がありました。その連絡は近況を伝えるものだったのですが、私の頭はそれどころではなくその連絡に対して暴言を吐き、「縁を切る!!」と言ってしまったのです。(細かい事は記憶からすっぽり抜けていますが)翌日にも長々と怒りのメールを送ってしまい、自分は正しい!と思い込んでいました。

そんな日が過ぎ、改めて私が友人に送ったメールを読み返し、その友人に言った「縁を切る」と言う言葉が私に罪悪感として突き刺さり、反対に落ち込んでしまったのです。仕事に行くのはギリギリ。出勤前には泣きそうになってしまい、不安定でした。

そんな時、その私が「縁を切る!」と暴言を吐いてしまった友人から連絡が来たのです。「メールの文字だけじゃ伝わらないし、電話も表情が見えない。会って話そう。」と。私は暴言を吐いてしまった事で友人を怒らせてしまった。どうやって謝ったら許してもらえるのだろうと考えました。

そして、友人と待ち合わせしたのです。すると友人は「いつもの冷静な君じゃない。明らかに病的だから、体調が悪い、躁状態なのだろうと心配していた。」と言ってくれたのです。友人は私が双極性障害を持っていることを知っており、友人自身も双極性障害を持っています。私に双極性障害の診断が降りてから”双極性障害あるある話”で体験を分かち合い、同じ病気を持ってその話をできる相手がいるという幸せを与えてくれた人でした。双極性障害で苦しんでいるのは私だけではないと。

そんな友人が、暴言を吐いてしまった私を許すだけではなく、体調を心配してくれて、そのトラブルについての話を「うん、うん。」と聞いてくれて冷静な意見を言ってくれたのです。それはトラブルの真っただ中にいる私には気づかないもので、その時ようやくそのトラブルについても、そこから私が体調を崩していたことに気づきました。医者や家族、障害をクローズにしている友人は気づかないだろう私自身の変化を、その友人は私の暴言から察知してくれたのです。

専門分野の人達は確かに情報をたくさん持っています。しかし友人として付き合い、普段の私を知っていて、状態の悪い私も知っている。また、同じ双極性障害についての経験を持ち合わせている人が同じ障害を持っている人を救う事もあるのです。

世間は「病気の人同士で仲良くするのはよくない。」と言いますが、同じ苦しみを味わっている相手だからこそ察知できることもある事を今回実感しました。分かち合える人。大事です。