精神的な安定のためには何かを切り捨てることも必要

自分は以前フットサルをやっていました。しかも、精神・知的障がい者のフットサルでした。過去形なのは辞めたからです。辞めた理由は三つあります。一つは人間関係と金銭のトラブル。もう一つは怪我。最後に先天的な骨の異常の発見です。そして先日、フットサルをボランティアで教えてくれていた方から、手伝って欲しいというお誘いを受け、一度は「裏方で手伝えることがあるなら」とお受けしたのですが、フットサル=トラブルという脳になってしまい、不安定になり、辞退しました。

その後で、自分は趣味で写真を撮っているのですが、会社で「あなたの写真を応接室に飾らせて欲しい」というお話を頂きました。自分はアレもコレもと虫が良すぎるところがありますが、今回はフットサルを捨てたら、写真が拾われました。

好きな英語で「NO PAIN, NO GAIN」(日本語だと「何かを得るためには、何かを犠牲にしなければならない」)がありますが、まさにこれだと思いました。フットサルを辞退することで、精神的にも落ち着きました。なので今回のフットサルも同窓会や祭りと同列だと思います。(同窓会や祭りについてはこちらのナレッジを参照)