躁でも鬱でもない「清々しい」という気持ちが、自分の体調を測る指標の一つになり得るかも
清々しいという感情は、病気になる前は割と当たり前に感じられる感情でしたが、病気を発症してからはそういう気持ちになったことが一度もありませんでした。うつの時はただただ辛く苦しいし、それ以外の時は「まあそれほどしんどくはないかな」という程度で、プラスの感情になることはあまりありません。躁の時は、清々しいというよりはもっと悪い方に突き抜けてしまうような感じですし。
そんな中、最近「清々しい」と感じられることが増えてきました。穏やかな気持ちで、刺激に対して反応し過ぎることなく、周囲に対しても寛容でいられるような、そんな状態です。もちろん、これが寛解などとは思っていませんが、長かったトンネルの先にようやく光が見えたような気がしています。
また、ご飯が美味しいと感じられるかどうかも、体調を測る指標の一つになるかもしれません。体調がしんどい時は、食事も味わって食べることもできません。ただただ気を紛らわすために食べている感じです。体調が良い時は、食事を味わえるだけの心のゆとりがあるように思います。
※ポッドキャスト「チームばいぽのユル~い話」の「#02:このナレッジがすごい!(後編)」より、収録内容の一部を修正・加筆して掲載。
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私が思う、躁うつ病との付き合い方は次の3つです。
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- 罪悪感を持たないこと
- 小さな一歩を愛すること
初めの1~3か月はしつこいくらいゆっくり丁寧に。鬱で崩れたときリカバリーできるように。感情も病状も長続きしない覚悟をもつように。これが挫折の数々から学んだことですが、私もまだ明確な答えは得られていません。