躁の時の自分、鬱の時の自分、それらもひっくるめて本当の自分なのだとしたら
躁うつには色々な苦労がありますが、社会からの孤立は特に由々しき問題です。私は発症以来、本当に多くの縁が切れました。
理由は様々です。迷惑をかけたり、勝手に引け目を感じたり、うつで連絡できなかったり。ただ不思議なもので、縁が切れなかった人たちとは良好な関係が続いています。捨てる神あれば拾う神あり。
結局、躁のとき、うつのとき、フラットのとき、全部ひっくるめて自分なのだとしたら、すべてを受け入れて「自分らしく生きる」しかないのかな、とぼんやりと考えています。いまだ全然受け入れられてませんけれど。そんな私はうつが長引くたびに、すべてを投げ出したくなります。
羽田京
○性別:男性
○年齢:20代後半
○診断名:双極性障害
○障害等級:なし
○現在の職場環境:オープンで大学教職員
○現在の家庭環境:両親と実家暮らし
○併発している他の傷病:なし
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