軽躁状態になりたいけど、大きく躁転したら死んでしまうかも
高校2年、18歳になりたての冬休み前、大きな躁転で即入院し、3ヶ月そこにいた。最初の2週間は保護室で過ごした。あの時死のうと思えば死ねるほどの勢いがあった。躁転した時に自分が何をしたのかは全て覚えている。あれだけ自分を見失い狂ってしまった時ですら私は死を選ばなかったのだから、普段どれだけ思い描いてそれを切望する事があったとしても、実際に死ぬということはすごくすごく難しいのだとその時知った。
それからもう4年近く経ったが、鬱が来るたびに今の私は何もできない意気地なしだと責め続けている。何もかも病気のせいにしてしまいたい。高すぎる目標を掲げては無理をして、達成の途中で力尽きる。そして暫く休み、何もしない日が続き、再び闘おうとするとまた力尽きる。
ペースを掴みなさいとよく言われる。でもどうしても守れない。焦る。焦ってしまう。なんや、できるやん、と思った途端に限界が来る。周りを巻き込み迷惑をかける。
つらい。死んでしまいたい。病気になる前から病気になりたかった。これ以上頑張れないと思いつつも常に限界を超えてきたから。とてもしんどかった。それなのに晴れて病気になった今、病気のせいにはできないと言い張る自分がいる。常に焦っている。結果を出さないと、私は休むことができない。
でも、それはもう頭の中だけの話。こんなことを言いながら、いかに私は頑張ってきたと言いながら、実際はパジャマも着替えず歯も磨かず、つけっぱなしのテレビとスマホを持ってこんなことを書いている。
私はいつ楽になれるのだろう。ごちゃごちゃした頭を捨てたい。自分が今動けないことを病気のせいにしていたい。いや、きっとしている。でも、本当は病気のせいだけじゃないことも知っている。頑張らないといけない。やらないといけない。
だから、早く軽躁状態になって欲しいとも思う。でもこのままでいいのかもしれない。また大きく躁転してしまうのは怖い。もう一度躁転してしまったら、私は死んでしまうかもしれない。躁転とは、普段妄想することが現実になってしまうことだから。何気なくふと考えていたことが私にだけ現実になってしまうことだから。あの時から一度も大きな躁転はなかったけれど、今でも鮮明に何があったのか覚えている。
あと何年生きなければいけないのだろうとよく考える。まだ若いからと、周りは未来を明るく見せようとするけど、それは私には通じない。未来と今は繋がっていない。繋げられない。どれが本当の私かもわからない。わかって欲しいとも思わない。ただ今のまま部屋でじっとさせて欲しい。どうせ嫌でも出たくなる時が来て、その時には今のこの辛さなんて一ミリも覚えていない。そしてまた疲れ果てて部屋にこもるのだろう。それの繰り返し。やっと掴んだと思ったものを私は、気がつけば握り潰している。もう何もしたくない。
匿名希望257
○性別:女性
○年齢:20代前半
○診断名:双極性障害Ⅱ型
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双極性障害と診断されてから看護助手の資格を取得
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