「病気のことは誰にも話すな」という父の言葉を長い間守ってきたけど

私は発症した17歳の時、父親に「自分の病気のことは誰にも話すな。話せばお前が白い目で見られて、お前が苦労する。」と強い戒めを受けました。しかし、それからは自分は犯罪者というか逃亡者のような生活になりました。言わなくても狭い町なのでみんなも薄々感づいています。しかし、本当のことは言えない。

高校卒業後、二浪して町を出たい一心で進学。しかし、就職活動で再発。それでも本当のことは言えない。7年かけて大学を卒業後、フリーターを経てクローズで就職、3年半後過労で再発。

その頃に兄の親友がパワハラで自殺しました。それが引き金となり、クローズは断念しました。就労移行訓練の後、まず経済的不安定は精神的不安定に繋がるため、障害年金を申請しました。そして、就労移行訓練の施設外実習中に、特例子会社設立のために動いてる人と運命的に出会い、障害者手帳取得を申請しました。

入社して3年くらい経った頃、友人の父親の通夜の後、酒を飲んでいた時(この頃はまだ酒を避けてはいなかったです)に友人と給料の話になり「いくらもらってる?」的な。「お前、それでどうやって暮らしてるよ?」となり、この歳だからぶちまけようと年金をもらってることを地元のツレにもオープンにしました。

父親の戒めを破りました。島崎藤村ではありませんが「破戒」をしました。そこからは、地元の行事も断りやすくなり、「逃亡者」生活も終わりました。例え白い目で見られようとも構いません。会釈くらいはしますが、話すことはほとんどないし、それほど大事な人間関係だとは思えなくなりました。それよりも設立前から関わっている特例子会社や医師、福祉関係者との人間関係、同じ病気の友人関係の方が大切です。